『かえるくん、東京を救う』

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「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説のこと。久しぶりに読んでみてやっぱり面白かったので少し書いてみることにした。
以前、読書感想文を書いたときにも述べてことだけど、これはあくまで僕の感想だ。
作品をどうとらえるかは個人の自由であってよいはずだし(小説くらい自由に読みたい)、「ここの解釈は間違っている」などと指摘されても、もともと議論することを予定して書いているものではないから困ってしまう。そもそも僕は評論家じゃない。ただの司法書士だからね。


主人公は、片桐という一人の男だ。
片桐は、東京安全信用金庫新宿支店で勤務し、誰もやりたがらない取り立ての仕事をしている。妻もいなければ、恋人もいない。友達さえいない。誰からも尊敬されず、自分でも何のために生きているかわからない…というタイプの人間だ。


ある日、片桐が仕事から家に帰ってくると、一匹の大きなカエルが待っていた。自分のことを「かえるくん」という、そのカエルは片桐に言う。
「2月18日に東京で巨大地震が発生する。その巨大地震を防ぐために、一緒にみみずくんと闘ってください」と。


みみずくんというのは、日頃は地下深くでずっと眠っているのだけど腹を立てると地震を起こすみみずのことだ。
かえるくんは、みみずくんのことをこのように言う。
「遠くからやってくる響きや震えなどを「憎しみ」という形に置き換えて蓄積していく。みみずくんは、今、放置できないくらい危険な存在になっている」と。


かえるくん?
みみずくん?
嫌いな人はもうこの訳が分からない話が始まったところで、読むのを止めてしまうのだろうが、村上春樹は本のあとがきでこんなことを書いている。


『現実から目を背け、どこかに逃避するということが目的ではない。むしろ、逆で今ここにある現実にもっと深く突っ込んでいくためには、物語という通路を通って、このような心の「とくべつな領域」に降りていく必要がどうしてもあったのだ。それはかえるくんの実際に住んでいる領域である。(文藝春秋 『はじめての文学』 村上春樹著 あとがきより』)


心の奥深くに降りて行った領域にいる存在、それがかえるくんであり、みみずくんなのだ。


それは、きっと主人公である片桐の心の奥深くにいるのだろう。この物語は、片桐自身が自分の心の奥深くに降りていくことで、「かえるくん的なもの」と一緒に、「みみずくん的なもの」と向き合う話ととらえることはできないだろうか。


恋人や友達もいない、誰からも尊敬されない、つまり人との関係を断ち切られ、なぜ生きているのかわからないという状況に置かれたら…。それはとてもつらい人生ではないか。小説の中で、こんな人生について、片桐が特に傷ついているとか不満に思っているとかいう描写はない。何の感情も持っていないのだ。


長年このような生活を続けてきて、表面的には一見何も感じていない様子に見える片桐も心の奥深くでは、感情を蓄積していたと考えることはできないだろうか。
つまりそれがみみずくんだ。


みみずくんの感情が「憎しみ」としてが爆発しそうになったとき、片桐はかえるくんに導かれてそれに向き合おうとしているのだ。


かえるくんはこのように言う。
「みみずくんのような存在も、ある意味では、世界にとってあってもかまわないものなのうだろう」と。


心の奥深くは、清らかでマッサラで…なんていう人は一人もいないだろう。そこにはいろんな自分がいるはずだ。かえるくん的な自分もいれば、みみずくん的な自分もいるはずなのだ。


ここではかえるくん=善、みみずくん=悪という簡単な図式では割り切れるものではない、ということも見ておかねばならないだろう。
かえるくん自身も「彼(みみずくん)のことを悪の権化だとみなしているわけでもない」とわざわざ述べている。
さらにかえるくんは「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時にぼくは非かえるくんの世界を表象するものでもある」などと謎めいた発言をする。
この言葉も「自分というもの」の多様性を表しているように思う。多様である自分をどのように生きていくか、とても考えさせられる言葉だ。


かえるくんは片桐と一緒にみみずくんと対決する。
かえるくんは地震を阻止することに成功するが、みみずくんとの対決は「引き分けに持ち込む」ことで精いっぱいだった。
自分のある一面を「悪」とみなして、これをやっつけてゴミ箱に放り込んでぴったり蓋をして、めでたしめでたしと単純にはいかないのだ。


これから先も片桐はみみずくん的な自分と向き合っていかねばならないだろう。それが生きるということなのだとこの小説では書いているように思う。


最後にかえるくんは「機関車がやってきます」という。片桐がかえるくんの住む世界から、機関車に乗って「こちら側の世界」に戻ってくる時間が来たのだ。


片桐は、みみずくんと対決をしている最中、実のところ、意識を失って病院に担ぎ込まれていた。みみずくんとの対決は夢の中で行われていたのだ。

意識を取り戻した片桐に付き添っていた看護婦が声をかける。
「片桐さんはきっと、かえるくんのことが好きだったのね。」


これに対して片桐は
「誰よりも」
と答えている。


片桐は、かえるくんと一緒にみみずくんと対決することで人を好きになるという感情を取り戻したのだ。これからの片桐の人生はまた違ったものになっていくに違いない。


この作品はもともと短編集『神の子どもたちはみな踊る』の中におさめられていたのだが、その短編集のなかでももっとも人気のある作品であるとのことだ。


確かに。
読み終わるととても温かい気持ちになれる。

 

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